1970年代に入ると、薪を燃やしつづけなければならない登り窯から生じる黒煙による害のため、市街地での登り窯の使用が出来なくなってしまいます。
そんな中、壺屋焼は新たにガス窯が導入することにより、その伝統を守り続けました。今日では、壺屋焼は現在の焼物のルーツだと考えられています。
一方で、薪を燃やし続けなければならない登り窯での制作にこだわりを持つ職人たちは、壺屋を出て窯を読谷に移し、登り窯による焼物の製作を続けました。
現在、読谷村は焼物の一大産地として知られており、日本でこれだけの登り窯を目にすることが出来る場所はなかなかありません。 |