港川人とは1万8千年前(旧石器時代)に生きた人骨化石に対して発見場所にちなんで付けられた名称です。 1967年に発見された港川人の人骨は、約1万7000年〜8000年前頃のものと推定されています。 国内で発見されている更新世化石人骨の中で体全体の形が分かるほど残っているのは港川人だけであることもあり、日本人のルーツを研究する上で重要な資料とされています。 頭蓋骨は現代人よりも少し大きく、堀が深い顔立ちで頬骨がはり、鼻筋が高い。縄文人と似ている特徴をもつこの港川人は、人類の謎を解き明かす上で、非常に重要な存在だと考えられており、今後、更なる調査が期待されています。
港川人は沖縄県八重瀬町(旧具志頭村)港川の海岸近い砕石場で発見されました。 この辺りには栗石と呼ばれる石灰岩の大地があり、地質の構造として垂直な割れ目(フィッシャー)があります。 割れ目の幅は80cm程ですが、長さは100m以上もあるフィッシャーの下部から港川人、上部港川人の化石は上部と下部の中間から発見されました。 発見のきっかけは、1967年、アマチュア研究家の大山盛保さんが粟石の中に、イノシシの化石を見つけたことでした。その後、大山さんは、その粟石の産地周辺で様々な調査を行い、1970年前後、ついに、港川人を発見します。